堕落繊細大学院生のつぶやき

日々感じるあれこれを思うがままに書くブログです。

感受性について

私は比較的感受性の高い方だと考えて生きてきました.

 

悩み事の相談を受けて私自身が悩んでしまったり,目の前の人が何に困っていて何をすれば助かるのかがわかったり,周囲の人の感情に敏感なところがあると思っていました.

 

でも最近,ちょっと違うのかもしれない,と考えるようになりました.

 

私は誰かが傷つく様子を見たくない,と思うのですが,じゃあ「傷ついているな」と判断した人が本当に傷ついていたかというと,次の瞬間にはけろっと忘れて元気に過ごしていたり,悩み事を相談されたとき,相手がどんな言葉をかけられれば気持ちが軽くなるのかわからず,ついつい自分がかけられてうれしいだけの言葉を投げてしまったり.

あとは私が気にならなかった先生の言動を周りの人は気にしていたり.

 

こういう小さな「ズレ」を認識していく中で,私が感受性だと思っていたことは,あくまで私視点の妄想でしかなく,その人の本当に考えていることは何かはわかりえないことなのだと,最近とても感じるようになりました.

 

このことがわかったとき,私は二つのことを考えました.

 

一つ目は「私の良さってどこにあるんだろう」ということです.

私は就活などでよく,「私の長所は相手の立場で物事を考えることができるところです」と答えてきました.

しかし最近,官庁訪問に向けて農業の諸問題について勉強している中で,今まで私が信じていた「農業者からの視点」はまるで本質をとらえておらず,またそのうえであたかも私の考えが農業を救うと信じて疑わず,他者に犠牲を払わせるようなことしか考えていなかったことに気づきました.

私が「相手の立場」と考えていたことは,私の想像の世界に存在する「相手」の脳内の想像であり,所詮私の考えでしかありませんでした.

だとしたら,「相手の立場で物事を考えられる」は正しい自分の長所ではありません.

 

ただ,これを書きながら,「常に相手を理解しようとする気持ち」はあるな,と気づきました.

相手の立場で考えられるようにもっと多くの人から多くの話を聞いて,多くの本を読んでいろんな考え方に触れたいものですね.

 

 

もう一つは,他人の視線におびえなくていいんだ,ということです.

 

私が想像する周りの人の考えは常に厳しいもので,私の生活一つ一つを縛るものでした.

それが私の生きにくさを増長していて,実際いつもお世話になっている相談室の先生にも何度か言われたことがあります.

 

でもそうした私の考える周りの人の考えも私の中から生まれたものでしかなく,正しいものであるとは限りません.

 

だとしたらもう,私は周りの視線におびえなくてもいいのかもしれません.

 

 

まあ,書くのは簡単で,それを思い込むことは難しいですが.

 

私はどうやら同じところをぐるぐる回っているみたいなので,数か月後の私がこの日記に気づいてくれたらうれしいな.

 

 

公務員試験二次試験まであと5日.頑張るぞ~~~