一人の時間
なんとなく最近、私の周りがにわかにせわしなく、それに合わせて私の心もせわしない日々が続いています。
「仙台」で「一人暮らし」じゃなくても大丈夫だと心に言い聞かせるため、ありとあらゆる手段でそれなりにちょっとずつ無理をしながら、なんとか心の平穏を保ち表面には何も見えないように一生懸命色々してきたけど、やっぱり無理をしている分、壊れるときはあっという間なんだなと、そんな絶望的な気持ちに苛まれています。
ただまあどの話も、私なんかのメンタルより当事者の方がよっぽどしんどいってこと知ってるし、当事者のみなさまには早くどうか元気になってほしいと、この気持ちに嘘はないのですが。
もうこれは4月ごろからずっと思っていて、思い続けているうちにぐちゃぐちゃになって絡まって、どうすれば自分の中で折り合いをつけられるのか、そもそもはじまりは一体何の感情で、周りに何を求めているのか、もう何もかもわからなくなっています。
でもこんな感情もってるなんて知ったら絶対悲しむじゃん。
だから蓋をして、なるべく墓場まで持っていこうとしていて、
だから一生懸命気を逸らそうと仕事やら遊びやらにかまけていたのですが、
なんか罰が当たったのかなぁ…
罰の当たり方がすごく性格悪いなって感じする。まあ性格の悪い私にはお似合いですけど。
自罰的な文章書いてるけど、実際はそんなに深く凹んでいません笑
いや、早くこのモヤモヤから解放されたいなとは思っているし、やっぱり皆さんには早く元気になってもらいたいとは思っていますが、私の心はいつだって「誰にも文句は言わせない。文句言うなら私が出ていく」という気持ちでいっぱいなので、それだけでとても力がみなぎってきます。
文句言ってくれることだってありがたいことだ、と私の恩人は言いそうだけど。
でも、私は私のやりたいことをしたい。だって私の人生だもん。だからやっぱり最終的には私がしたいように私はするつもりだよ。たとえそれが親不孝だなんだと責められたって、今後私がそれを後悔したって、それも含めて人生でしょ?
話を戻すと、やっぱり私は戦わなきゃいけないと思うんです。
笑って流すだけじゃだめだ。言われたことを甘んじて受け入れるだけじゃだめ。
そんなの続けてもいつか私が爆発してみんなを不幸にするだけだ。
どんなにへそを曲げられようと、何度皮肉や嫌味をぶつけられようと、私は私の心を守らなきゃいけない。私の心を守ることこそが周りを守ることにもなるんだ。
愛情と矛先だね。