堕落繊細大学院生のつぶやき

日々感じるあれこれを思うがままに書くブログです。

人に恵まれていると実感した日

23歳二日目は社会人の先輩との電話からはじまった.

 

アルバイト先でずっとお世話になっていて,勝手に師匠と呼んでいた(心の中で)先輩.

バースデーLINEをもらったのをきっかけにぽろっと現状報告したら2時間くらいお話をしてくださった.

なんだかんだ1年近くお話をしていなかったのだけれど,相変わらず面白くて楽しくて,まるで自分が学部時代に戻ったみたいだった.

戻れない日々を思い出してさみしくなるとともに,まだこうして繋がれることに私は嬉しさを感じた.

 

私はどこか人間関係に恐怖を感じていて,基本嫌われていると思って生きている.

だから正直もう忘れられていると思っていたし,卒業された後こうして連絡してくださると思わなかった.

私と話したいと思ってくれていたことがシンプルにうれしくて,すごくすごくありがたかった.

 

正直自己肯定感もあがった.

 

昔から私は,優しいとか面白いとか明るいとか真面目とかそういう仕事以外の部分でほめられがちだった.

面接練習していても話し方とか態度とか表情とか,雰囲気を褒められることが多い.

それだけ見たら自慢しているように見えるけど,これが本当に私にとってコンプレックスだった.

だって優しくすること,人を笑わせること,明るくふるまうこと,真剣に取り組むことは誰にだってできるから.

計算とか研究とか考えることは訓練しなければできないけれど,人に優しくすることは優しくしようと思えばできる.明るさだってとにかく笑顔で声を大きくして楽しそうにしていればいい.

だから遠回しに「仕事ができない」と思われているようで本当に嫌だった.

 

けれど,昨日少し考え方が変わった.

 

「なんでも笑ってくれる」

「いつでも楽しそうにしている」

尊敬する先輩は私にそういってくれた.

 

そのとき私は,気にかけてくださる先輩の人柄がいいことは前提としてあるけれど,それでもこうして私が尊敬する人とこうして今も連絡を取れること,こうして関係が続いているのは1%くらいは私自身の力もあるかもしれない,と思えた.

 

研究室の先輩にも「〇〇ちゃんだからこそ私はこれが言える」「○○ちゃんが優しいからいい人が寄ってくるんだよ」と言われたことを思い出した.

 

私の周りがいい人なのは私がいい人だから.

 

少しくらい信じてもいいのかもしれない.

 

そもそもみんなが明るくできるならみんな明るいはずで,みんな優しいできるならみんな優しいはずだ.それなのに言われるということは,それは私には簡単だけど人には難しいことなのかもしれない.

 

あるいはみんな優しいけれど,その中でもとびぬけた何かがあるのかもしれない.

 

書いていてすごく傲慢だと思ったけど,まあそれもいいか.

 

 

 

LINEのタイムライン,過去の自分の投稿を見返したら,結構いろんな人にコメントもらっていてびっくりした.

私友達いないと思っていたけどいたんだなぁ

 

要は考え方なのだ.

友達いないと考えるのも,明るくなんてみんなできることと思うのも私だけど,私は世界の真理ではない.

自分が考えていることが誤っていると思うなら,固定観念もそもそも誤っているのだ.

フラットにシンプルにありのままに.

少しだけ息を吸うのが楽になったそんな夜でした.

 

 

まあ相変わらず努力することを考えると吐きそうなくらい嫌なんだけどね!!!笑