堕落繊細大学院生のつぶやき

日々感じるあれこれを思うがままに書くブログです。

大学院生活をふりかえって

修士論文を無事書き終え,迫る修論審査会に向けスライドを作る日々を送っています.

 

何度もメンタルを折られ,何度もやめようとしてきた大学院での生活ももう残りわずかになったところで,今後またメンタルが折れそうになったときの自分や何かのきっかけでこの記事にたどり着いた,意識も自己肯定感も低い大学院生に向けて,大学院生を経て私が思ったことを記録しておこうと思います.

 

①他人の評価を一切無視し,「卒業」のためだけに存分に他人と時間を使う

修士と学士で何が違うのか,何を会得しなければならないのか,大学院に入った当初,私は真剣に考えすぎた結果,「私は大学院を卒業できないのでは…?」という気持ちにいなりました.

学部4年で周りの先輩から「学部時代にたくさん聞いておいた方がいい」と言われていたこと,先生から「大学院生だったら自分で実験をデザインしてできるようにならなくてはいけません」と何度も言われたことにより,「大学院生はレベルの低い質問をしてはいけない」「大学院生は自分で調べて研究を進めなければならない」という強迫観念に襲われていました.

 

ただ,修士2年でそれまでとは毛色の違う,新たな実験に取り組んだとき,これら強迫観念はあくまで「努力目標」にすぎないと気づきました.

 

レベルの低い質問をしてはいけない

→確かにちょっと調べたりちょっと考えればわかることはなるべく聞かないよう努力すべきではありますが,聞けば避けられた失敗やケガをするくらいならどんなに怒られようと他人に聞くべきです.そもそもその質問のレベルが低いと誰が決めたことなのか,とも思います.

自分で調べて研究を進めていくべき

→自分で実験系を考えることは大事ですが,はじめからできるわけないんですよね.考えた実験系を先生と相談することを通して「研究者の思考プロセス」を少しずつ学習しよう,くらいの気持ちで十分だと思いました.

 

どちらも,意識することは大事ですが,「大学院生に必要なスキル」というわけではなく,「大学院の2年間で獲得するスキル」なのでは,と私は考えます.私は教員ではないので必ずしもそうだ,とは言い切れませんが,たとえ大学院生に必要なスキルで今自分になかったとしても,大学院生活で少しずつ学んでいけばいいと思うんですよね.

 

だから,スキル云々を考えている暇があったら目の前のやるべきことを淡々とこなせばよかったのだと思っています.

たとえうまくいこうがうまくいかまいが,目の前のやるべきことをこなしていれば少なくとも何かしらのデータは得られます.指導教官がどのくらい面倒を見てくれるかで変わるとは思いますが,何かデータがあれば何とか調理してもらえるはずです.

 

今,スキルがなくたって,研究をする中で確実に身に付きますし,最悪スキルが身につかなかったとしてもデータさえあれば卒業できます.他人からの評価を気にせず,とにかく自分が卒業する(=データを集める)ために時間と他人を存分に使うことが大事だと思います.

 

 

②ありのままを認める

他人のありのままは許容できるし,自分のありのままを他人に認めてもらいたいとは思っていても,自分のありのままを自分で認められる人ってどのくらいいるのでしょうか.

 

意外といるのかな…

 

私は認められませんでした.認めるという発想もありませんでした.

例えば,ちょっとさぼりたいな,と考えたとします.そのとき,私は「これはさぼりじゃなく,休息だ」と正当化したうえでさぼってきました.

この根幹には「さぼりたい」という感情が持つべき感情ではない,という考えがあります.

 

これ,一見自分のメンタルを守れているように見えるのですが,もう「さぼり」という自覚を持ってしまっているので全然気持ちは楽にならないんですよね.正当化している分余計自分に対する嫌悪感がすごいわけです.

 

でも最近,さぼりたいと考えたとき,「ああ私はさぼりたいのか」と自分の感情を一旦正面から受け止め認めるようにしました.そうしたら,案外ちゃんとさぼれるようにもさぼらず頑張れるようにもなりました.

 

自分でもどうしてそんな風になったのかよくわからないのですが,「認める」という行為を通じて冷静になれるのだと思います.

 

正も負もどっちの感情も,評価せず「存在」を認める.感情に振り回されがちな人はやってみてほしいです.

 

 

③自分はやればできると信じる

一時期「YDK」という言葉が流行りましたよね.

この言葉はできない自分を正当化する言葉みたいな捉えられ方をされがちですが,基本的にやってできないことはないと私は思っています.

 

そもそも「できる」の基準が人それぞれちがうのだから.

 

研究も先生とのコミュニケーションも,スライドも修論も,私は全部「できない」と心の奥底ではずーーーっと思っていました.

でも実際,「少なくとも私ができる全力で」という条件は全部達成できました.

 

それを先生がどう評価するかは別の話です.

先生が最初から高評価をするようなものが作れたら学ぶ必要はないわけで,そんな人は博士に進んで研究者になるべきなんですよね.

 

だから,できないって最初からあきらめるのではなく,とりあえずやればできる,と言い聞かせてそのときそのときの全力を尽くせばいいと思いました.