堕落繊細大学院生のつぶやき

日々感じるあれこれを思うがままに書くブログです。

22.09.23

クワセクシャル以前に、私はそもそもしっかり女の子なのだろうか、という問いにたどり着いた。

 

クワセクシャルについては結構確実にそうだと思う。これはもう二週間くらいずっと考えているけど、そもそもの定義自体に揺らぎがあるので、今後どうなるかわからないけど、とりあえず今はそうなんだと納得するためにこの名前を拝借しようと思っている。

 

さて、自分がしっかり女の子なのか、について。

かわいいものが好き、かわいい服が好き、それだけで本当に自分が女の子であることを決定づけることができるのだろうか。

 

私は化粧をすることもかわいい服を着ることも好きで、そうして一通り着飾った私を見て「あー今日もかわいくできた(※当社比)ー」って思うのが好きなんですけど、でも化粧をするのはコンプレックス隠しだし、かわいい服を着るのは単に私の顔つきや体系がそっちの方が似合うから、で、感覚としては着せ替えごっこのゲームを楽しんでいる感覚に近い。

 

それは、女の子だから抱く感情なのか、と聞かれるとそうではなく、たぶん男の子だってそういうのは好きなはずなのだ。

 

そもそも私が女の子たらしめている価値観、言動は私本来のものなのだろうか。

どこかで誰かによって恣意的にゆがめられた可能性だって完璧には否定できないだろう。

人間、些細な違和感は無視できるし、自分の本当に大切な価値観さえ侵害されなければ基本対応できてしまうものだと私は考えている。だから、「女の子なんだから」「女の子らしく」と言われても大抵は「あーはいはいわかりました。」と思って大体はスルー出来た。

これが違和感がないということはまあ女の子なのかもしれない。

 

 

ただ、全部をへらーっと笑って流せるか、と聞かれるとそうではない。

女の子だからできなくて当たり前、と言われると無性に腹立つし、女の子だから足を閉じなきゃいけない、と言われるとめんどくさって思う。女の子らしい口調をしようとすると全身の鳥肌が立つ。

かわいいものがすきで、かわいい洋服がすき。男の子には胸がときめく。でも、いわゆる女の子らしさを自分からやろうとすると、演技ならいけるけど素では無理。恥ずかしさがでる、というのもあるし、この恥ずかしさを分析すると、「女の子と思われる/思われようとしている」ことへの嫌悪感なので、結局私は意図的に女の子をするのが生理的に受け付けないのだ。

 

調べてみると同じような人はたくさんいて、その原因が過去のトラウマだという人もいる。トラウマがないわけじゃない。私は自分が可愛いとは思えないけど、自意識だけは過剰なので「かわいいと思われているかも」とか、「〇〇くんは私のこと好きなのかも」みたいなことは今でも定期的に考えている。そしてそれが外れていることを知ると恥ずかしさで死にそうになる。このサイクルを繰り返していくうちに自分に対する自信が地に落ちたことはあると思う。

でも、たぶんそれくらい、きっとみんなあるでしょう?

たぶん一般的に言われているトラウマはもっとそんなんじゃなくて、明確に言葉にされたことなんだと思う。

加えて、そのような人に向けた記事を読むと最後は「自己肯定感をあげて少しずつ自分が女の子であることを認めよう」みたいな言葉で占められているんですけど、別に私は今後女の子らしくふるまいたいとも思っていなくて、なんならその一文をよんでブチ切れそうになった。

そういうことじゃない。私は、女の子らしくふるまわなきゃいけない状況が気持ち悪くてふるまわなくていい方法を探しているんだ。と。

 

今まであまり「自分の性別に違和感がある」という言葉にピンと来ていなかったけど、私のこれもグラデーションの濃淡はあれど違和感の一種なのだろうか。