22.11.30
私の強みは言語化できること,それを外に発信できること,らしい.
なるほど,それを強みと呼ぶことに釈然としないところはあるものの,言われてみればその通りだと思う.
できないときは大きな声で「できない!」と言うし,悩んだときは全身で悩んでいることを表現する.
そのことにためらいがあまりない(もちろん教授に言うのは無理だけど).
そのおかげで昔から私には複数のセーフティーネットが存在していた.
昔からそうだったか,と言われるとそうではない.
友達ができないとか運動ができないとか,そういうのは恥ずかしくて口に出せなかった.
それと,暗い話をするのはいかがなものか,とも考えていた.
でもいつの間にか,友達ができないことも勉強に追いつけないことも簡単に口から出せるようになっていた.
人に話すとき,私が意識していることがある.それは,「大丈夫」をもらうだけの話をしない,ということである.
本当は「大丈夫」の一言で元気になれるけど,「大丈夫」発言マシーンにさせられるのは私自身がしんどいから人にもさせたくない.だからなるべく他の人の哲学が聞けるように問題をかみ砕くようにしている.
その努力の結果が,「言語化」につながっているんだろうな,と思う.
本当はちょっとくらいためらったほうがいいのは知っているし,周りに頼らず自立している人を見るとかっこよくて憧れる.いつまでも人に甘えることはできないなんてことは私が一番よく知っている.
そう思って,ちょっとずつ自分自身で自分の機嫌がとれるように頑張ってきた.
自分でできることを増やそうと思ってなるべく頼らないようにしてきた.
で,その結果,見事に限界まで感情を溜め込んで文字通り死にそうになりました.てへ.
やっぱり私には向いていないようです.
向いている,向いてないで話をするのは逃げのようで少し嫌だけど,でも思考の癖は人それぞれなのでやっぱりちょっとくらいはあるんじゃないかな,と思う.
私は自分の中でぐるぐる思考すると自分を攻撃する方向にしか思考がいかなくなって,何も進まなくなるので,やっぱり周りに話して思考を整理するのが一番いいみたい
こんな弱い自分じゃ嫌われるんじゃないか,と不安で仕方なかったし,いまも不安だけど,でもそれが私である以上,仕方のない話なんだ.
それで愛想を尽かすならどうぞ尽いてください.
私が明日も明後日も健やかに生きていくためには綺麗なだけじゃだめなんだ.
諦めること逃げること適当な理由をつけて自己正当化すること,やれることはなんでもやるべきだ.
生き抜くためなら
棒に振れ
水を差せ
煙に捲け
油を売れ
現を抜かせ
支離滅裂や