堕落繊細大学院生のつぶやき

日々感じるあれこれを思うがままに書くブログです。

眠っていたい日中と眠りたくない夜中

小さい頃は夜が嫌いで昼が大好きな子だった。

 

特別快活だったわけじゃないし、友達も多い方ではなかった、というか少なかったのでいつまでも遊べるから~~という理由ではなかった。

 

単純に暗闇が怖かったのもあるが、みんなが寝てしまい、世界で一人取り残される感覚に底知れぬ恐怖を覚えていた(新聞の配達員さんが新聞を投函してくれる音に救われたことが多かった)。

 

 

最近はすっかり逆になった。

 

日中に活動するのも好きだけど、夜中に人通りが少ない街を歩いたり、暗闇でドラマを見たりすることが好きになった。

 

いつから好きになったのか、詳細は思い出せないけれど、大学で一人暮らしを始め、孤独に慣れたことがきっかけだったと思う。

 

できることなら深夜から早朝まで一人でひたすら町を歩いてみたいと思っている。

まあ、直近でなかなかに怖い経験もあったし、そもそも私が女子という時点でそれは難しいことだろうとは思うけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

秋の夜長の風にあたりながら、自分の進路について書いてみようと思う。

深夜なので文章はめちゃくちゃだと思うけど、まあ未来の自分よ、許してくれ。

 

 

 

 

最近、ずっと私は今後の進路について迷っている。

 

これは多くの人から贅沢な悩みだと言われ、私自身もそうだよなぁと思いながら、眠れない日々や悪夢にうなされる日々、家族にうまく伝えられないもどかしさやちょっとした拗れなどにさらされている。

 

二つの進路について、ざっとまとめると

・「明らかにブラックだけど肩書が強くて収入が多い」か「薄給でそれほど肩書が強いわけではないがホワイト」

・A(ブラック)からB(ホワイト)に行くことはできるがB(ホワイト)からA(ブラック)に行くのは茨の道

・もともと行きたかったのはBで、Aは記念に受けてみた感じ。

である。

 

私のポリシーは「やらない後悔をするくらいならやってする後悔」「迷ったら難しい方を選ぶ」なので、あとで転職しやすいなら、新卒でAに入って挑戦するのが丸いかなぁなんて思っていたりした。

(実際、先輩からも社会見学的な感じで入ってみればいい、と言われたしね)

 

でも、いざAにしようと思って電話しようとすると、手が止まる自分がいました。

 

Aにしようとするたび、脳内で「本当にそれでいいのか」と尋ねてくる声があります。

 

何がそこまでひっかかるのか。

 

両方選ぶにはこれしかなく、後悔を最小限に抑えられるのはこれが一番丸い。

挑戦しないなんてもったいない。

 

理性的に考えればそれでいいはずなのに、あと一歩のところが超えられないのです。

 

そして先日、いろんな人に相談しながら気づきました。

私は私が思っていたよりずっとBの仕事がやりたくて仕方がないのだと。

車で季節を感じながら現場を回り、いろんな人の支援をする生活にあこがれているのだと。

そしてそれは、Aの仕事をすることで5年先に送りたくないくらい今やりたいのだということ。

 

何度も言いますが、理性的に考えれば、Aの仕事を選ぶのが丸いです。

若さが必要な仕事ではないし、別に5年早く始めたからと言って何が変わるわけではありません。

 

でも「今の私」がBの仕事をしたいのです。

 

この3年間、いや、振り返ればもう10年以上、将来のために我慢我慢を続けてきました。

いつもいつも今の私をないがしろにしがちだけど、今の私がしたいことをしたってよくない?

 

Bを選ぶことは理性的ではない、と語ってきましたが、実は冷静に考えた上でBを選択すべきな理由があります。

それは、Aの仕事が嫌だと思ったとしてもBに転職できない可能性が高いことです。

私はこの通り、丸く収めるのがすきで、なるべくリスクをとらないように生きてきた人間です。そんな人間は、給料とかポジションとか出来上がった人間関係に縛られて転職しないだろうな、という予感しているのです。

転職が自由になった社会で逆行した考えだと思うのですが、最初から転職ありきで考えるのはどうなんだろう、という違和感もあります。

それとたぶん、前述のとおり、Bに対するあこがれの気持ちが大きすぎるので、AからBに転職したくなっても、BからAに転職したくなることは恐らくないと思います。

あるとすれば、成功した同期たちを見て、「私もAを選んでいれば…」と思うことくらいでしょうか。

でもそれは、ただの承認欲求にすぎません。

承認欲求が満たされないと欲求不満になりますが、承認欲求だけでは生きていけないと、これまでの経験から思います。

私は、自分で思っているよりずっと頑固なので、どんなに言葉をもらっても自分がなりたい自分の姿を変えることはできないし、なりたい自分になれない限り他人にどれほどほめられたところとて満足することはありません。

だから、肩書だけじゃ満足できないんですよ。

裏を返せば、肩書がどんなのでも自分がなりたい自分であればそれで十分だと思います。

 

話がそれました。

 

最初に私は、挑戦したい人だと書きました。

私は挑戦を、頭のいい人に囲まれる中で努力すること、体力的に大変な状況において戦うことと考えていました。

でも本当にそうなのか。

切り取る場所を変えれば、「身体的につらくても、金銭と身分と定期的な自己承認欲求が満たされることが保証される環境」とも言えます。

だからBを選ぶことを逃げだと思う必要はないのかもしれません。というかないです。私の状況で選ぶのはちょっとした茨の道だと思います。そこを自分の意思で選べるなら、これは立派な挑戦ではなかろうか?

 

 

うだうだ書きました。

こんなに考えたのは初めてかもしれないです。

こんだけいっぱい考えても実はBの仕事が嫌いになるかもしれません。

でも、今の私が最善だと思う道を選んだのならそれが最善なのです。

公務員は転職しにくいというけど、まあいざとなったらどうにかすればいい。

 

 

 

 

P.S.

前半と後半で文体違いすぎて草。

なんか心理的なものなのかな?笑笑