相談すること
私は去年の5月くらいから大学の学生相談室にお世話になっています.
御覧の通り,小さいことに悩み簡単なことを難しく考える癖があるので,去年の2月くらいから色々とバランスを崩してしまって,とにかく全てから逃げたい,大学院やめたいと考えていました.
当時は毎日家に帰れば嗚咽が出るほど泣いていたし,学校にいる間だって自然と涙が出てきて目が腫れていなかったことがありませんでした.ご飯はのどを通らないしあんなに好きだった推しも応援する元気が湧かないし,部屋はどんどん汚くなりました.当時はそれが当たり前だったけど,こうして冷静に振り返ってみると本当にギリギリのところを生きていたんだと思います.よく耐えたな私.
何があったわけでもなくて,研究に特別行き詰っていたわけでもなく,ただただつらかったあの日々.
思考回路が止まることが多い中,思いついた手段が「大学院をやめる」でした.
でも大学院やめるのは結構大きな決断だし,誰かにこの思いを共有していたいな,と思い,大学院入学時に渡された学生相談室の案内を思い出してとりあえず連絡をとってみることにしました.
思い返すとそこがターニングポイントだったかもしれません.
今までも人に相談することはできていました.
でも,知らない相手,しかも確実に受け止めてくれる相手に相談することはそれまでの相談とはまるで違いました.
それまでの私は,相手にどう思われるかが大事で,相談するときも自分の理想の自分が相談をしていました.具体的に言うと,「こう思うことはよくないことだ」と思ったことを排除したきれいな感情だけを放出していた状態で,問題の本質に迫れていなかったのです.
正直赤の他人でも最初はすごく抵抗がありました.
でも赤の他人なら勇気を出してその気持ちを捨てて相談することができました.
それがきっかけで私は,周りの人に少しずつ本音で相談できるようになりました.
本音で相談する,ということは相変わらず嫌われないか不安と戦うことになるのですが,でも少しずつ少しずつ,本当の意味で相談できる相手が増えていきました.
相談できると何がいいか
まずは自分の感情の整理ができます.
人は相手に話すとき,相手が理解しやすいように意識します.
悩み事がなぜ悩み事なのか,相手に理解してもらうためにありとあらゆる言葉を使って誰が聞いても筋が通った内容に無意識のうちにするようで,それで自分の中でも本質が見えることが少なくありません.
自分が何に悩み何に苦しんでいるのかわかるだけで次に起こすべきアクションが見えます.
次に,自分の悩みが普遍的であり,決して悪いものではないことがわかります.
自分の中だとわるいことであっても,いざ話してみるとみんな案外「え,そういうもんじゃない??」とけろっと言ってくれることが多いです.
これ,追い詰められている人間にとってはすごくありがたいです.
私はなんでもかんでも自分に規制をかけて追い詰めてしまう癖があるのですが,人と話してみんな案外そうだって気づいてからは少しずつ自分の許せる範囲が広がりました.
首をしめるほど苦手なものから逃げることも覚えて,昔より息がしやすくなりました.
私が今,大学院を続けられているのも,ヘロヘロのメンタルでも前に向かって歩けているのも,支えてくれる人の存在がいるからで,そしてその存在は一歩の勇気から得ることができました.
誰もいないけれどもし,苦しんでいる人がいたら,格好つけずに一回逃げてほしいし,社会通念なんて無視してほしいと思っています.それが難しければどこかの相談窓口で気軽に相談をしてほしい.世の中にはたくさん苦しむ人を救いたい人がいることに気づいてほしいです.
私もいつか,恩返しできたらいいな