堕落繊細大学院生のつぶやき

日々感じるあれこれを思うがままに書くブログです。

11年

東日本大震災から11年.

 

数字だけ見ると,とても長い時間が経ったように思う.

 

実際小学生だった私が大学院生になるくらいには時間は経過している.

 

でも私は,11年なんてこんなもんか,という気持ちになっている.

 

 

11年前の今日のことはとてもよく覚えている.

 

当時小学校6年生の私は,担任の先生に手紙を書いていた.

 

14時46分

 

突然机が小さくカタカタいいはじめた.あまり経験したことのない気持ち悪い揺れ.

 

そしてそのうち,横に大きく揺さぶられ始めた.

 

避難訓練で行ったように机の下に慌てて潜る.

 

右斜め前に見えていた花瓶代わりのペットボトルの中の水が激しく揺れているのを机の下から見守っていた.

 

さっきまで手紙を書いていたボールペンはとび,床に落ちた.

 

 

 

ここで死ぬのかな.

 

 

 

人生で一番長く感じた一分間.

 

小学生でまだなにもわからなかった上,半年前にあったニュージーランド地震の被害がまだ記憶に新しかったこともあり,声が出ないほどの恐怖に身を包まれた.

 

クラスメイトのほとんどがそうだったのだろう.思い出す範囲では誰も何も話していなかった.

 

後で調べてみたら私の住んでいる地域の震度は4だったし,去年の2月に自分の中の震度の最高記録が出てしまったのだけれど,でも私は一生忘れないのだろうな,と思う.

 

そのあとのことは断片的な記憶だったので,ここに列挙しておく.

・揺れがおさまったこと,グラウンドに出た.先生方も初めての経験でどうしたらいいかあまりよくわかっていなかったようだった.(実際50超えの教頭先生が「人生でここまでの揺れは初めて」と言っていた)

・いつもは人をからかっている男の子が怖がる私たちと一緒に,別の教室に忘れてきたノートを取りに行ってくれた.

・帰宅の準備中,隣の席の男の子がぽつり「俺んちボロいから潰れちゃったかな…」とこぼした.

・帰宅途中,先生から宮城県沖が震源だときき,「あんなに揺れたのに!?」と思った.

・でも当時は事の重大さに気づいていなくて「東北地方って揺れ多いなぁ」と思った.

 

 

家について,リビングに入って私は唖然した.

 

テレビに映し出されていたのは渦を巻く膨大な水が家を巻き込む映像だった.

 

私はしきりに母に「ねえ,中にいる人は避難したんだよね???いないよね???」と尋ねていた.

 

衝撃の映像に息をのみながら,時々訪れる余震におびえてすごした.

 

怖くてトイレが近くなった.

 

なんとか落ち着こうと,漫画を読み続けた.

 

もうすっかり一人でふろに入れていたのにその日は怖くて,父に一緒にふろに入ってくれとお願いしたなぁ

 

夜眠るのが怖くて,姉の布団に入らせてもらった.

 

それでもまだ,揺れが怖い,というだけで事の重大さには気づいていなかった.

姉と「アニメの放送が延期されちゃったねぇ」なんて話していたり.

 

それが当時の思い出.

 

忘れっぽい私があの日のことをここまで忘れないのだ.衝撃だったのだろう.

 

 

 

一人一人に2011年3月11日がある.

 

このブログは何かが言いたかったわけじゃない.ただ,忘れてしまわないように書いておきたかっただけだ.

 

そっと黙とうをささげて,このブログをしめます.